2011年05月06日

「消費は美徳」・・・今や危険思想

「消費は美徳」・・・今や危険思想
千年に一度と言われている、東日本大震災で危機に見舞われた日本を憂うメッセ-ジが、巷を席巻している。そんな時、新聞の1面に辻井喬氏の表題の記事が目に留まった。
その記事をそのままPCに打込み、自分なりに再度、脳に叩き込んでみる。
○1960年代以降、日本人の生き方は「とにかく豊になろう」でしたね。・・・
中略・・・。
 豊かさを目指した消費市場に支えられてきた国の形をつくりかえる。私たちは根本的問題に直面しています。国主導で産業を発達させる時代はもう終わっています。
確かに復興しなければいけませんよ。でも、テレビ広告に出てくる「がんばろう日本」とか、「日本は強い国」だけで大丈夫でしょうか。この言い方は敗戦の後、60年前の国家イメ-ジと差がない。これからは今までの日本と違うものをつくらなければならないのに、昔のままではまずいのではないでしょうか。
 震災で、私たちは物事を自分の皮膚感覚で選び出す時代に入らされたと思います。震災後の停電、節電で、消費者は今までの無駄遣いに気付いた。主婦たちは、節約して合理的に生きようとしている。大量消費文明は、原発問題とともに終わりつつある。
「消費は美徳」は、今や危険思想にすらなりましたね。
地球への影響を意識せず消費することは、浪費に近いと考えられるようになりました。
地熱や風力などのエネルギ-を意識することで、日本の方向性が、かすかに浮かんでくる。
企業も、明らかに縮小均衡になる中で、役割を果たせるようにならなければならない。
そういう時代に入っていると思います。
 僕は今、日本には心の豊かさと伝統の再評価が必要だと思っています。
今までの日本人は、忍耐強く従順だから、だめなんだと言われ、僕も内心そう思っていました。でも、それは日本人の伝統的な美徳でした。僕はそのことに気付き反省しています。
 被災地の人たちが、必死になって生きようと我慢する強さは、海外からも称賛されています。私たちは、被災地の人たちの苦労と生き方に学ばなければならない。被災地の人たちが見せた美徳を評価できなければ、言論も企業も成り立たなくなるのではないでしょうか。
 その美徳が日本人の長所だと見られるようになったとき、新しい国づくりの精神に支柱が入るのだと思います。今はまだ、このような抽象的なことしか言えないのです。以上

ただただ読みふけっていれば、そうか・・・と思うことで過ぎるかもしれない。被災地の為にも、自粛ばかりでは日本の経済がダメになる。祭の余興も花火もやるべきだ!と声高らかに自粛ム-ドに反発する意見もある。
相変わらずの「消費は美徳」的な考えは、「今や危険思想」といわざるを得ない。
「忍耐強く従順」な日本人の伝統的な美徳から見たら、明日は我が身ですよ!と、自粛反発する方々に申し上げたい。
  


Posted by 鷲津商店街 at 20:01コラム

2010年06月16日

苦情処理


凡時徹底ができなくて、万が一ミスや苦情が発生した場合、その対策を考えなければなりません。

お客様からの苦情に対しては、「すぐ行く」、「相手の期待を超えた対応をする」。これによって、災い転じて福となすこともできるわけです。期待を超えた行動をすれば、98%の人が固定客となることを、ノ-ドストロ-ムが教えてくれています。

ある百貨店がチラシ広告で、背広を「先着百名様に限り、一着1,000円」と打ってしまった。本当は「一着10,000円」としたかったのを、書き間違えてしまったのです。背広が一着1,000円なら、何百人もの人がくるかもしれません。このリカバリ-をどうするかです。
実はこの百貨店は、これで評判を取ったらしいです。どうしたかというと、まず広告どうりに、1,000円で百着分売ることにしました。そして次には、10,000円の背広を三百着用意したのです。
「本当は10,000円と書きたかったところを、間違えて1,000円にしてしまいました。だから何百人も並んでしまいました。そこで、元々考えていた10,000円の商品を3倍用意しました」。
これでその百貨店は、信用を繋ぎ止めることに成功したのだそうです。
 1,000円の背広を百着用意するのは当たり前です。チラシで約束したのですから。しかし、さらに三百着を用意するということは、百一番目からうしろに並んでいる人達を、ただ帰したのでは申し訳ないという具体的な行動です。

こういうリカバリ-をしてミスに対応していく、これが苦情処理の秘訣ではないかと思います。

                    三上 元 著「サ-ビスで勝つ」より  


Posted by 鷲津商店街 at 07:46コラム

2010年05月10日

「元気度チェック」

この「元気度チェック」の中の、ナンバーワンは掃除です。
清掃にはル-ルが必要だと思います。ですから、掃除ができていないという会社は、まずこのル-ルを決めてください。

○初めに、掃除をする頻度を決めます。場所毎に、毎週やるのか、月いちでやるのかという、頻度を決めなければなりません。
○次に、何を使って掃除をするのか、洗剤の種類まで決めてしまいます。
○三番目に、誰がどこを掃除するかを決めます。
○四番目に、どの程度のレベルで可とするかを決めます。美しさの程度を決めるのです。
○そして五番めに、責任者が定期点検します。点検しないと徹底しませんから、やっぱりミスが生まれます。

 清掃ということを、マニュアルなしで徹底している会社は、おそらくローヤル(イエロ-ハットチェ-ン)だけだろうと思います。この会社は何のルールもないけれど、98%の人が黙々と掃除をします。
それは伝統が違います。ここだけは例外の会社ですが、多くの会社にはマニュアルが必要でしょう。


  95年9月に沖縄でお掃除大会があり、岐阜県の東海神栄電子工業の田中義人さんが、報告をしてくれました。思いやりの心と、節約心と、ものを大切にする心と、チームワ-クが生まれて、会社が儲かった、というのです。
「風が吹いたら桶屋がもうかる」というのは、回りくどい言い回しの代表例ですが、「掃除をすると会社が儲かる」というのは非常に分かりやすいことです。
 皆で掃除をしている内に、職場に笑顔が戻ってきました。節約の心が出始めました。道具を大切にするようになりました。だから朝の挨拶まで、気持ち良くできるようになりました。
そして会社が儲かりました・・・・・。なるほどなと思いました。                                               (三上 元著:サ-ビスで勝つ!より)


 話題転換
 現在、弊店では朝の清掃は、8時45分に出社する女性の事務員さんがモップかけをし、その後ほうきとチリトリでゴミを集めます。
いつも彼女がやるようになっています。
それが当たり前のようになって、彼女の休みにはもう一人の事務員さんが同じ事をやります。
二人の事務員さんが休みの時は、誰もしません。
番頭さん達は、空瓶整理や空のダンボ-ルなど倉庫の掃除をまとめて1週間に1度位やります。
時差出勤の店なので、揃って清掃が出来ません。
 朝は ・6時出勤     1名
    ・6時30分出勤  1名
    ・7時出勤     1名
    ・7時30分出勤  2名
     ・8時出勤     1名
     ・8時45分出勤  2名
     ・9時出勤     1名     19時には必ず閉店。

ル-ルはなく、皆がその時時、気がつくとやってます。暗黙のうちに役割分担がされています。
ただ定点観測をすると毎回同じ人がやり、やらない者はいつもやりません。
だから、皆勝って気ままで、コスト意識がなく、物を粗末にし個人主義の集団で、成果がでない店になっているのか・・・・・。
すべて、主幹の私が自由奔放なスタイルで仕事に向かうことが、彼らをそのようにしてしまっているのか●
明日から私が気がつく所の掃除と整理整頓をまずやろう。
そして今月17日の全体会で、皆と話し合い役割分担とル-ルづくりを提案してみよう。     「陳謝頓首」

  


Posted by 鷲津商店街 at 07:00コラム

2010年05月07日

元気度チェック!

三上元塾頭の「元気度チェック」

売り場が元気かどうかを知るために、私は「元気度チェック」という事を提唱しています。それは
一、掃除が行き届いているか。掃除の行き届いていない店というのは、やる気がない店だとお客様の目には映ります。
二、商品を外まで出しているか。ス-パ-なら、店頭で何を売っているかが、やる気を表します。通路に少しはみ出すぐらいに商品を並べたり、一品一品がどれだけ在庫量、ボリュ-ムを持っている  
  かということも、商品の元気さに繋がります。
三、売りたい商品にちゃんとPOP(ポップ=一言コメント)が付いているか。「この商品はここがいいですよ」「新製品です」「安いですよ」・・・・・。私が店長時代に「私も食べてます」というPOPを付
   けたとたん、一ヶ月に五個売れていた商品が五十個も売れました。お客様が迷ったときはPOPが決め手です。
四、照明の明かるさはどうか。明るい所にはお客様が集まります。売り場が元気になるのです。
  大阪の小売市場は、設備は古いけれど、照明にだけはお金を掛けています。
五、元気のいい声が出せているか。レジじゃもちろんですが、お客様に一声掛けること、これがやっぱり売り場の元気さだと思います。

この「元気度チェック」の中の、ナンバ-ワンは掃除です。

耳の痛いことばかりですが、読んでてなるほどと感じ入ります。昔は確かにやった事だよなと、三十年来一緒に仕事をしてきた番頭さんと頷き合いました。昭和五十四年に豊橋佐藤町のジャスコ新豊橋店に出店したとき、初めて酒屋でのテナント出店に緊張の連続の毎日でした。
売り方も解からず、毎日のレジ上げが恐怖で(売れなくて売れなくて)このままでは店は三ヶ月持たないんじゃあないかと途方に暮れ、番頭さんと悩みに悩みました。売上不振を見かねた店長が紹介してくれたジャスコの関係者の方が、全く同じ事を教えてくれました。
破れかぶれで実行実行と毎日続けました。どうでしょう、みるみる日々の売上が上がりはじめたではありませんか。キツネにつままれたような気分でした。
1周年のころは、ジャスコ全店の酒テナントでの坪効率が日本一になり、二年目には店舗クリニックにお見えになる同業者の方ばかりか、ジャスコの社員の方々の視察を受けるまでに成長したのです。(笑)
 いつの時代も商売(あきない)のコツは普遍なんでしょうか。
 
次回は、「掃除の仕方」をアップします。  


Posted by 鷲津商店街 at 20:07コラム

2010年05月05日

無題

浜松は、凧まつりの真っ最中!弊店は、4月決算で棚卸の真っ最中?
 たな卸しはスタッフがやってくれるので、小生は事務所の「整理整頓?」の真っ只中。
 書棚を整理していたら、初代「滴塾」塾頭であった、船井総研取締役の三上さんから頂いた「サ-ビスで勝つ!」なる本がひょっこり現れた。
 2004年9月、2005年4月の2回読んだ形跡があった。思わず懐かしくまた読み耽った。初版が1997年なのに、今の時代にもピッタリマッチした内容が新鮮だった。
 商人(あきんど)として今の自分自身をおおいに反省させられた。ぜひ商店街の皆にも読んで欲しい一冊である。
 
 特に、印象に残った一部分を紹介させて貰う。

    『凡事徹底というサ-ビスはやはり基本中の基本』  P161~

 ものは必ず汚れます。仕事のミスは必ず発生します。ですから、いかにそのミスを少なくするか、ということを考えなければなりません。
コンビニエンスストアの品切れは、大きな失点です。
なぜなら、八割以上の人が「すぐ使いたい」と思って買いに来ているからです。いま醤油がない事に気が付いた、いまカップヌ-ドルが食べたい、いま弁当が食べたい、そういうお客様を相手に商品を売っているコンビニで、品切れというのは、最悪です。
「うっかりさん」のために存在している店が、その「うっかり」のニ-ズに応えられなかったら、これは大変なことなのです。
 この場合、どうすればいいのでしょうか。品切れをなくすのに極力努めることは当然としても、万が一、品切れが起きた場合(起きるに決まっているんです)、代替商品を用意するか、さもなくば競争相手の店から買ってきて補充する。そこまでやるべきです。
 競争相手の店から買ってくるということは、たぶん同じ値段でしょうから粗利はゼロです。しかし大損はしません。ただ、買いに行く労力がかかるし、相手の売上に貢献して、向こうを儲けさせますね。
けれどもコンビニの品切れというのは、それぐらいの覚悟が必要です。品切れさせない努力、まさに凡事が大切なのです。


内容は少し違いますが、
 小生が、稼業を継いだ23歳のころ、世間ではキリンラガ-ビ-ルが売れに売れ、生産が追いつかずメ-カ-の出荷規制で、毎日品切れの連続の時代でした。入荷してもその日の内に完売状態で、お客様にもご迷惑をかけていました。他社のビ-ルは潤沢にありキリンの注文をいただいたお客様に他社のビ-ルを届けようとした時、祖父からえらい剣幕で叱られました。
「お客様から注文を受けた商品をなぜ、代替品で届けるのだ。店に無かったら自分で買いに行って来て届けろ。」と・・・・・
豊橋・浜松の酒屋さんを走り回り、キリンラガ-ビ-ルを確保しに走りました。もちろん小売価格ですから、儲けはゼロ。ガソリン代がかかるし遊ぶ時間も無し。
どこでも売れていた商品ですから、皆さんいい顔はしてくれず、辛い思いをしました。祖父の言わんとしたことは、お客様との約束はどんなことがあっても履行しろ。それが商人(あきんど)だ。
明治の商人の心意気は凄いとの思い出があります。

 共通するのは、難しく考えずに「当たり前の事を、当たり前にやる」。このことは時代が変わっても商売に取り組む姿は変わらないということなんですね。


 三上元塾頭は、売り場が元気かどうかを知るためには「元気度チェック」という事を提唱しています。それは 次回のお楽しみ!?  


Posted by 鷲津商店街 at 18:29コラム

2010年04月17日

永六輔 著  「商(あきんど)人」から  

永六輔 著  「商(あきんど)人」から   続き



「通信販売が大変な人気だっていうことは、店が無くても品物が売れるっていうことですよね。<暖簾を守る>とか、<老舗の商法>とか言ってちゃ駄目だっていうことだ」

☆「通販」がありがたいのは、過疎地や離島の人たちだという。以前なら都会に行かないと買えなかった品が、自由に買えるのである。
店が無いという商売は新しいわけではない。
商売の歴史では、そもそも店は無く、売り歩いていたのだから・・・・・。


「ラジオ・ショッピング、テレビ・ショッピングもよく売れています。
電波を売るのが放送局かと思ったら、品物も売るんですなァ。
<いまお買い求め下さいますと、これもつけます、これもつけます>って・・・・・。」


「家電製品や薬品のように、すべての商品が安売り競争にさらされたら、いままでの商店は店をたたむしかないでしょうね」

「切れない電球はつくれるんです。でも、切れなきゃ売れませんから」


☆商品が使い捨てになりつつあるのは、カメラの世界ではご存じのとおり。修理するより買ったほうが安いのは時計。
まさに消費という言葉がぴったりになりつつある。
買っていただいて、トコトン修理保証するというような商人道徳は、化石になりつつある。


「メ-カ-希望小売価格は一万円ですが、それを五千円でいかがでしょうか。」

☆「希望価格の希望を無視しては失礼ではないだろうか」と言ったら、「希望は無視してもいいが、夢を無視するのは失礼だ」と言われた。


「バイオリンの弓が100万円って言ったら、高いんでビックリした人と、安いんでビックリした人がいてさ。まだまだ理解されていませんねェ。」
「わたしのバイオリンですか。バイオリンが700万円で、弓が500万円ですが・・・。 わたしのオ-ケストラじゃ、安物扱いです。」

☆商品として、高価だから良い品と、良い品だから高価なものがある。高価だから買うという満足感は、ブランド好きの日本人からは無くなるまい。
 「700万円のワインを飲む会」が予約でいっぱいになるのだから。

  


Posted by 鷲津商店街 at 21:04コラム

2010年04月16日

永六輔 著  「商(あきんど)人」から

永六輔 著  「商(あきんど)人」から


「いちげんサンはなぁ。
 紹介状さえお持ちなら、よろし。
 紹介状さえあれば、ホ-ムレスさんかて、お客様どす。
 でもなぁ、いちげんさんはなァ」


☆京都祇園の商売というのは、紹介状がなければ成立しない。
 「いちげん」が「裏を返し」、三度目で「馴染み」になり、そこからが客なのである。
その馴染みの客の紹介状がないと、スタ-だろうが、社長だろうが、大臣だろうが、客になれないという時代があった。
 最近は、それほどきびしくなくなった。

 祇園でなくても、高級料亭では現金の支払いはさせない。月末に「旦那さまへ」と書かれた巻紙で請求される。

現金、それも前金でという店には、信楽焼の狸がおいてある。あの狸は、堂々と前に金玉を下げて前金を要求しているのだ。

久しぶりに永六の「あきんど」を読み返した。商売での信用って何だろう?と考えさせられた。
 
☆近年はス-パ-マーケットの小型版として、コンビニエンス・ストアが日本中に激増しているが、売上が3月は9.5%もダウンしたとか。
・24時間営業ということで、小さな町に活気がつくというメリットはあるが、そのぶん商店街にはデメリットになる。
・暮らしが夜型になり、深夜のテレビCMで見かけた商品をその場で買いに行く人が多いというデ-タも出ている。
・深夜に即席ラ-メンのCMを見て、それッと自動車で買いに行く暮らしって・・・・・。

                                                               続く

  


Posted by 鷲津商店街 at 00:24コラム

2010年03月26日

「地産地消」

「地産地消」

近年、流通の発達などにより、遠くの大量生産地や外国からさまざまな食材がたやすく手に入るようになった反面、その安全性や栄養価や内容成分表示などを疑問視する声も上がっている。

安心しておいしく食べられて、その上新鮮といえば、やはり地元産のもの。

生産者と消費者の距離が近いため、生産者は責任を持っていいものを作り、消費者はおいしさと安心を受け取る。

「地産地消」。

地元で生産、地元で消費という食流通のスタイルが見直されている。
 よく、おいしい料理は作る人の取材をすると最大公約的に残るのは
「食べてくれる人のことを思って作るだけ」
「新鮮でいい材料を使っているだけ」という言葉になる。

顔の見える『ものづくり』こそ食生活の原点であり、食品衛生や流通業の忘れてはならない鉄則だと思う。

食品ラベルの不当表示や、税金使途の不当表示など、世の中の愛すべき人の顔が見えないで行動をとる人が多くなってきた表れではないだろうか。

  


Posted by 鷲津商店街 at 18:07コラム

2010年01月28日

よき友、よき酒、よき?

よき友、よき酒、よき?


 悠々と元旦の休みを利用して書いた年賀状も、忙しい年末に時間をやりくりして書いた年賀状も、相手に届くのはいつのことやら分からない。ひょっとすると、あとの鳥がさきになるかも知れない、と
思うとまことに愉快であった。ただしもらいっ放しで、返礼もしていない方もかなり多いので、その方々にここで深くお詫びさせていただく。

 「よき友、よき酒、よき?あって人生は楽し」 と書いてくれた年賀状が印象に残る。わざわざ、よき友と書いてくれているのだから、私もそのよき友の一人であるのであろう、とのウヌボレも出てくる。

 よき酒はくれた人が酒造家であってみれば、当然わが社の酒を指したものと思っていい。
しかし、単に酒のうまさを誉めるのではなく、よき酒によって会社の業績が順調に運び、まずは芽出度く新年を迎え得たよろこびをふくめていよう。

 さて、よき?が分からない。勝手に?あれこれ当てはめてみるがそれがまた結構楽しいことに気がついた。

 ついでに自分の場合も考えてみる。
よき友-あれこれ指を折ってみる。案外少ない。親しさとか尊敬、信頼、愛情などが、どれだけ大きく、また深くとも、友という感情まで包摂するには不足している。友というものの中には、もう一つ大きな何かがある。しかし、その何かを的確に示すことは私には出来ない。

「友あり遠方より来る。また楽しからずや」(論語)
一つの話題を捉えて互いに意見をたたかわせるような間柄も友として一つの条件のように思える。
「己れにしかざる者を友とすることなかれ」(論語)
会えば必ず何かを教えられる、これも友の条件に数えて良いであろう。そうしたことがなければ、会っても楽しさが生まれないのではないか。会えば何かを教えられ、しかも非常に楽しくなれるような相手こそ友と呼ぶべきかも知れない。

 よき酒、は私にはあまり縁がない。アルコ-ルに弱いからである。したがって、よほど条件がそろわないと飲まない。
よき場所、よき相手、よき時間が、まず私の酒を飲む最少限の条件だが、これが三つとも揃うことは滅多にない。晩酌は場所と時間に文句はないが、相手が不足、外で飲む時は相手と場所がよくとも時間に縛られるのが嫌である。

さて良き? 私は食い意地がはっているので、まずうまい物を置くことになった。デパ-トでよくうまいもの大会があるが、言うほどうまくない。先日、生まれて初めて 戎神社に招待されて、福めしなるものをご馳走してもらった。料理には箸をつけず、みそ汁と沢庵漬けで一膳とお茶漬け一杯、それがこの上なくうまかった。
 よき?は案外見落としている身近な所にあるのかも知れぬ。それも少なからず。
  


Posted by 鷲津商店街 at 18:25コラム

2010年01月14日

本当に就職難?

 本当に就職難?

休日久しぶりに、近くの喫茶店でコ-ヒ-を飲みながら週間の漫画を見ていたら興味を引く内容があった。

1955年  56.5%
1970年  35.1%
2008年  13.5%    自営業者の割合

1985年  460校
2009年  773校     大学の数

1990年  324,164人
2008年  388,227人   4年生大学卒業で正社員就職数
  *就職氷河期の方が採用者が多い。景気による変動ではないのでは。

       大学卒業者数    就職者数     就職率
1990年    400,103人     324,164人    81%
2005年    551,016人     329,125人    59.7%

この数字を見て、大学生の増加が就職難の原因とみるほうが現実的だ。
日本のみんなが、会社に守ってもらえるサラリ-マンになる事を欲した。
就職39万人のところ大学卒55万人では、需要・供給のバランスが崩れる。
マスコミは、不況で企業が採用枠を減らしているから氷河期という→企業側だけをみて学生側の事情を見ないのは大間違い。
世間もマスコミと一緒になって企業が雇用安定の為に努力すべきと批判する。不況だから氷河期だっての騒ぎはデ-タを無視した茶番劇にすぎない気がする。
大学卒→サラリ-マンの道しかめざさないことは×。
 道なんていくらでもある。なぜに自営業者になることも選択肢にいれないのか。

「結論」  会社に守ってもらうことからの脱却
        自分の能力を信じ、創業の道を探れば新たな発見が  
        必ず見えてくる。
          目指せ自営業者(オ-ナ-)!!               アラカンの独り言  


Posted by 鷲津商店街 at 12:00コラム

2009年11月24日

不況・不景気と騒ぐなかれ

不況・不景気と騒ぐなかれ


 またまた「不況」だの「不景気」だの「デフレスパイラル」だのという声が、しきりに聞こえ出して、不況下の暇さ加減が気になるようになってきたが、本当の不景気とはどんなものか、それを体験した人はいまどれだけいるのであろう。

 灯油が高いと言っても、スト-ブを使えないという話は聞かないし、休みの日など、ちょっと有名な寺院へ行くと、おはらいを受ける新車で境内が埋まっている。
 高級料理屋こそお客が減ったが、自分の小遣いで飲み食いする店はたいてい毎日そこそこ入っているし、喫茶店などでもお客が減ったように見えない。
 こう見てくると「不景気だ不景気だ」というのは、つまる所、好況時のようにもうからなくなった、というだけのように思える。本当に不況が来たら、喫茶店どころではあるまい。

 昭和初期の不況下では、都会で職にあぶれた人たちが、故郷に帰るのに、汽車賃も無く、東海道を妻子を連れて歩く姿が目立ったという。
 私はその頃はまだ小学生の低学年で、不況もなにも分からなかったが、いま当時を振り返ってみると、小作農の人たちが米を積んだ大八車に赤旗を立てて、年貢に納めるべきものを米屋に売りに出そうとしていた風景がよみがえってくるし、貧農の娘で遊里に売られて行った人も何人か思い出すことができる。
 「誰それの田が差し押さえられた」とおとな達が話しているのも良く聞いた。年貢を納めないことへの対策だったのであろうか。遊里に出された娘たちは、何年かの後に、定って病に蝕まれたからだを持って帰った。

 戦後は、農地解放で小作人の悲哀というものはなくなったし、再び昭和初期のような悲惨さを伴った不況がこようとは思わないが、同時にわれわれがいま抱いている不況への恐怖が、つきつめると、単なる充実感に対する不満に過ぎないと言えるようにも思えてくる。

 充実感というのは、きわめて不安定であり、比較はできなくても基準というものがない。しかし、「充実感とは与えられるものでも、奪うものでもなく、自分で作り出すものである」と私は考える。

 土岐某という人がその著書の中で、「年金生活に入ってからお祝いとかお供えを包むのに、これこれの額を包みたいが、年金生活なのでこれしか包めない。と断っている」と書いていた。これと充実感を比べるのはおかしいが、要は気持ちの問題だ、という点では共通している。

 先日、知り合いの料理屋の女将から「来年の春も野草摘みに連れて行ってほしい」と連絡が来た。野草といってもノビルとセリくらいのものである。
ノビルは設楽の山奥などでいくらでもはびこりコジキネブカなどとさげすまれる農家の厄介者で、いくら採っても喜ばれこそすれとがめられることはない。しかしこれも都会の料理屋に出回る時にはキロ何千円かになっているという。ものの価値とはそういうものであろうし、物の価値に絶対的な基準がない以上、物による充実感も同様な基準はない。

 杉村楚人冠は、「遊戯の哲学」という本の中で
  「人生とは人に疲れて死ぬことである」と言っているそうだが、物や金に疲れて死ぬよりまだしもだと思う。
  


Posted by 鷲津商店街 at 14:39コラム

2009年06月28日

一つ目小僧の国に来て

一つ目小僧の国に来て
 

江戸時代の話である。ある男が見世物にしようと思い、一つ目小僧が住む島にわたったが、反対に
自分がつかまえられて、見世物にされてしまったと言う。
 人間には目が二つあるのが正常だが、二つ目のほうが異常と思われる国もあるのだ。
商工会長を引き受けてはや五年、一つ目小僧の国の檻の中から、外を眺めての感想を一つ、二つ・・・・・。

 □ ビナイン・ネグレクト(優雅なるサボ)。
    仕事をやってもやらなくても、上役の命令を聞こうが聞くまいが、給料はみんなかわらない。
    これで「働け」は無理なこと。

 □ インプットしてもアウトプットなし。
    (商工会、レポ-トつくれば終わりなり)
    予算づけ、先進地視察、コンサルタントにレポ-トつくらせて、ハイ、終わり!。

 □ なんでも他人が悪いのさ。
    ス-パ-が悪い、人口減が悪い、税務申告が遅れるのは会員が悪い、・・・・・自分の責任で考えなければ
    何も解決しないのに・・・・・。

 □ 会議はいつも十五分遅れ。
    時間を大切にしないでよく商売ができるものだ。現代こそ「時は金なり」なのに・・・・・。

 □ 机の上は雑然としている方が、よく仕事ができるとカン違いしている。
    5S、5S、何よりも5Sから・・・・・。

   五月二十日には実務研修第一号の調印式。
   地区連絡協議会長、各商工会長出席のもとでの大セレモニ-、たった一人の人事異動にこの大騒ぎ、二つ目小僧の国に   なるのが何時の日か?
                                                 著: 都留 仁 

  


Posted by 鷲津商店街 at 21:08コラム

2009年05月20日

生れ出るものの不思議

取引の世界となると、悪知恵が発達していないと、どうもうまくいかないようである。
ただし同じ悪知恵でも賢明な人に見破られて修正させられるようなものなら、まだしも罪は軽い。これはだまし合いの勝負だからである。

性の悪いだましは、巧妙に正論に見せかけてする主張ないし指導である。
これに権力がくっついてくるとなお悪い。反発が許されないからである。
その主張者が、正論だと信じて、正論らしい正論を押し通そうとするのは辛抱できる。

我慢のならないのは、正論を押し出しておいて、裏をかくことである。これは実例に事欠かない。

 中国の故事に「ドブネズミは人間や豚の糞を食い、いつも猫におびやかされておどおどしているが、穀物の倉庫にいるネズミは、米や麦などうまいものを食い、のんびりと暮らしている。人間の賢と愚もつまりネズミと同じで、その居場所で決まるものである」。という話があるが、われわれの居場所とわれわれの賢愚の関係は、さてどんなものであろう。

悪知恵を働かせなければ生きて行けないような世界になぜなったのか。
どうにもならない事ではあるが、考えてみることは決して無意味ではあるまい。

 ハエは土中から出ない限り翅も伸びなければ、皮膚も固まらないという。

悪知恵もいいけれど、それを働かす前に、自分のからだを十分固める工夫をするほうがいい。  


Posted by 鷲津商店街 at 08:00コラム

2009年05月16日

生れ出るものの不思議

 五月蝿と書いてウルサイと読むが、午睡でもしている時の一匹のハエはまことにウルサイ。


ことにたいてい寝ている顔に止まりにくる。叩けば目にもとまらぬ速さで逃げる。昆虫の本を読むと、あの見事な飛行がどうして行なわれているのか、驚かされることばかりだが、ハエの場合、飛ぶようになるまでの過程が、またまことに興味深い。


 ハエは土の中で蛹(サナギ)になるのだそうである。当然土の中で蛹からかえってハエになるが、まだ翅(はね)が伸びておらず、小さくてやわらかい。土中から這い出して一時間ほどすると固くて黒いハエになるが、どうして、やわらかい体で土の中から出てくるのであろう。


「羽化したばかりのハエは、頭に袋を持っている。体をぎゅっと縮めて血液をこの袋に押し込むと袋は力強くふくれて土を押し分ける。

袋から血液を引いて肢(アシ)をふんばると、できたばかりの土の隙間へからだが入る。この繰り返しで土の中から外に出る。」のだそうである。(日高敏隆著:昆虫という世界・朝日選書)


 本能とはいえこれは驚くべき作業である。


ウルサイ、不潔、ゴマのハエ、蝿の持つイメ-ジは最低である。しかし生まれ出るまでに、そのような、神秘ともいうべき力が与えられていた。それを思うと午睡のじゃまだといって叩き殺すのは、いかにも哀れである。


 生まれるまでの神秘さはハエも人間その他の生物も同じかもしれない。しかし、生まれてから、ということになれば、悪知恵の発達した人間は、到底純真無垢な他のあらゆる生物に比較し得る資格はない。  


Posted by 鷲津商店街 at 07:56コラム

2009年04月28日

生き残る条件を整える。

ある大学の実験によると、1メ-トル四方の空地を草1本見当たらない状態にして(8月)1ケ月後に生えてきた雑草の数を調べたら、17,776本あった。この土地に含まれている植物の種子は数十万から百数十万粒にもなる、と推定されるが、その中から僅か二万本足らずしか芽が出なかったことになる。しかも芽生えた草も、成長し花を咲かせ実をつけたのは76本に過ぎなかった。種子に比較すれば1万粒に1粒の発芽であり、発芽した中の千本のうち5本しか成長しなかった事になる。
 自然界がこれだけの激しい生存競争を続けていることは、驚くほかないが、生き残るということのむずかしさをつくづく考えさせられよう。
このことを思えば、企業集団の中で生き残ることは、はるかにやさしい。しかし、これとても生き得る条件が整わねば、植物と同じである。
ただ、植物の場合は生きる条件が、すべて与えられたものであるのに対し、企業の場合は、その条件を自分から創り出すことが出来る点が、植物とは異なる。それでも、自分でその条件を創り出そうとしないで、他動的に与えられるもの、と考える人は少なくない。
 小売業界には特にこれが多い。もっとも、これもどうやら限界に来たようであるが。
今時分美しい花を咲かせる草に鷺草がある。これは一人立ちできないので、周りの草に助けられて細長い花軸を立たせている。
共存共栄とは、同じ企業集団内に限って当てはめられがちであるが、異業種間で図るべき行動規則をも含めねばならないようにも考えられる。
 時あたかも国の施策で、農・工・商連携による新事業創生の支援策が出てきている。簡単には興せない事業アイテムであるが
同じ地域に生活し、仕事、地域活動をしている同士、今こそ従来からもちあわせるヒュ-マンネットワ-クを起動する時期かも。   


Posted by 鷲津商店街 at 20:00コラム

2009年04月19日

人間には回復の能力がある。

脳の重さは大人で大体1300グラムだが、その脳へ送りこまれる血液は、体中の血液の20%近いという。1時間あたり45リットルもの血液が、休みなく脳へ送りつづけられている。大型乗用車がフルスピ-ドで走り続ける時に消費するガソリンは、1時間に10リットル、小型乗用車なら5リツトルぐらいであるのに比べると、脳の消費している血液の量の激しさが、実感としてうかがえよう。(森政弘著・心眼から)


 脳細胞が普通百億から百五十億個あって、20歳以降は毎日十万個ずつ壊れている、という話も驚きだが、一時間45リットルもの血液が脳に送り込まれているというのも驚きである。

 脳に送りこまれる血液の量は、おそらく誰も同じ程度であろうが、その血液によって養われている脳細胞の働きが、なぜ大きく変わってくるのであろう。

 老人になると意固地になるのは、血管が堅くなって血液が十分に流れなくなり、細胞を衰えさせているからであろうか、などと考えたりもするが、すでに数え年六十の私としては、あまりいい気持ちはしない。

 しかし、それよりも、同じ程度の脳細胞が、あるいは利欲を求めるためにのみ働き、あるいは名誉欲を追うことにのみ働き、また真剣にみずからのあるべき姿を探るなど、人により異なった働きを持つ、というのはいかにも不思議である。

 A新聞の記事で、MBCで、ケガでリタイヤした選手がその心境を語った中で
「ありがたいことに、人間には回復の能力が与えられている。早く直して出直したい。」と紹介していた。

「人間には回復の能力があたえられている」という言葉は、いかにもすがすがしい。

一日に壊れていく十万個の脳細胞や、年と共に衰える肉体的機能に、回復の能力がないのは残念だが、その他のかなりの部分で、また仕事などの面では、この言葉は十分当てはまる。自分のしている事や考えていることが、最善であると思い込んでいる人には無用の訓えであろうけれど。

 侵さず侵されず-などと日本の平和憲法のようなことを主張する人もいるが、それは肉体の衰え、頭脳の衰えを告白するに等しい。

侵せど侵されず、でなくてならない。そこでこそ回復の能力への感謝が生まれる。ただしそこに暴力があってはならないが。
  


Posted by 鷲津商店街 at 18:05コラム

2009年04月01日

永六輔著「商人」から

「日本経済が世界に遅れているとは、よく言われることです。

これはフランス人に聞いた話です。

企業の工夫というのでしょうか、企業の謀略というのでしょうか・・・・・

 ここのところ、日本がワインのソムリエで世界一という評判をとりました。ワインを飲んで育ったフランス人をおしのけて日本のソムリエが優勝するというのは、大変なことです。
 わたしは、まァ、立派だなあと思うのですが、これには別の見方がある。
日本にワインを売り込むために、とくに女性に売り込むためにはどうしたらいいか、という作戦があって、その作戦の一環だというんですね。

つまり、ソムリエ世界一を日本にわたす、そうすると、それが日本のマスコミで紹介される、紹介されればワインのPRになる、それが女性に対してのワインの売り込みにつながっていく、そんな話だというんです。
 これを聞いたときに、われわれはほんとに表面しか見ていないんだなァ、という気がしましたし、嘘にちがいないとも思いました。そしていま、女性を中心に、本当にワインブ-ムの再来です。

 よくできた話だなァ、と思っているほうが心おだやかではあります。

つまり、アメリカにかぎらず、ヨーロッパの企業もそうですが、彼らが日本を市場として考えた場合に、実にたくみに、そして圧力を持ったかたちでやってくる。
 これをわが門前町、あるいはわが商店街がどう迎え撃つのかということになってきますと、とても先の読める話ではなくて、考えるだけで、はっきりいいますが、憂鬱になってくる、絶望的になってくる。」

 
話題転換
 最近、日本の洋風菓子職人(パティシエ)が、世界レベルになったとの報道がありました。グロ-バルな我等地球人と唱える方々は日本人の技術はたいしたもんだと絶賛されたが?

 メタボ検診が保険対象になったからとはいいながら、あんなに濃厚な甘さは日本人には合わないんではないか!なんていうとお叱りを受けるかもしれませんが、ワインの二の舞になりませんように。


 日本の和菓子の伝統はいずこに、今再び蘇れ、才気煥発和菓子職人の方々に期待する。

4月4日 花よりだんご市で、日本の菓子に目覚めよう!   


Posted by 鷲津商店街 at 17:28コラム

2009年01月28日

回想

昔、大阪に北浜銀行という銀行があり、頭取は岩下清周という人だったが、
 その岩下頭取は

「百歩先の見えるものは狂人扱いされ、五十歩先の見えるものは多くは犠牲者となる。一歩先の見えるものが成功者で、 現在を見得ぬものは落伍者である。」と言ったそうである。

 この言葉を思い出したのは、古いが昭和54年「文芸社」出版の 「実力専務去る」を読んでいて、

 「経営者になるために、いつも、こういう訓練をしろ。
 今 5億の金があり、50人の人間が与えられたら、どういう会社を作り、何を作り、どのように売るか。
 どういう戦略をたて、業界に対してどうゆう戦術で立ちむかうか。これから毎日毎日それを考えることだ。自分の見るもの、聞くもの、 接するもの、すべてを仕事と結びつけて考えることだ。女を見ても、その服装や化粧のセンスから、商品のデザインを考えたり、 この女ならどういう日記帳を買うか、このタイプで、このくらいの経済力の女は、何割くらいいるか。生涯に何冊アルバムを買うか。 買うとすれば、いつ、どこで、といったように、一刻たりとも商売のことを忘れないようにすることだ。」という箇所を読んだときだった。

 その小説ではこの言葉をフヤセアルバムで躍進したコバヤシの里見専務に言わせているが、

  それが、岩下清周の言った、百歩先に該当するのか、五十歩先に当たるのか、それとも一歩先に相当するのか。
 あるいは、五十歩先にするのも一歩先にするのも、その人次第ということになるのであろうか。
 それに、実例を探すとしたら、どんな人が見つかるだろうか。しかし、一歩先どころか、己の足許さえ見えないものが殆んどで  はあるまいか、などど考えていると、なかなかもってうっとうしい日の退屈しのぎになる。

  現在を見、一歩先を見、さらに五十歩、百歩先を見て、これに対応できる人は極めて少ない。
 絵の先生は一様に「まず全体の位置をとり、それから細部描写に入らねばならない。」と教える。部分から描き出せば大抵失敗する。
 だが、仕事の上では、えてしてその失敗をおかしているようである。
  


Posted by 鷲津商店街 at 22:19コラム

2008年10月13日

一休み



ノンベエ賛歌

(男は女だけで生きるに非ず)
 智に働けば角がたつ、情にホダされれば流される、じゃないけど、タテマエを振りまわせばギスギスする。
自分は振りまわさなくても、振りまわす人にぶつかったらたまらない。
逃げられれば逃げるにこしたことはないが、そうできなかったらどうするか?・・・・・
 ボクの経験でも歴史のチエでも、その場の対策は一つしかない。
シャレのめすことだ。
たとえば、自分のご面相をもかえりみず、
「結局、男が女に求めているものはSEXだけなのよ」などとケタタマしい声をあげる。リブ派のタテマエ女史には、こんなジョ-クで・・・。
 あるイギリス人、乗っていた客船が嵐で難破し、一人だけ小島に流れ着いた。生きてはいるけど、淋しくてたまらないので苦労して
イカダをつくり、海に乗り出した。
そして、また、小さな島に半死半生で流れ着いた。ところがその島には、やはり遭難して流れ着いた女性がたった一人で暮らしていた。
男はその女性に介抱され、食べるものを食べて元気をとり戻した。
そんな男を見て、女性はニンマリと笑いながらこう言った。
「さあ、あなたが長い間、夢にみていたものをあげるわよ。」 すると男は目を輝かせて言った。
   (註: ここで一呼吸いれる)
「なんですか! スコッチがあるんですか」

さらにトドメの一発をぶちかましてもいい。
「だいたい女性は、自然の産物に過ぎませんが、酒は文明の所産・・・・・。しかも女性に心を許しても酔わせてくれるとは限りませんが、
酒は間違いなく酔わせてくれますからねぇ」と。 
                                                                
                                              粋虎
  


Posted by 鷲津商店街 at 00:37コラム

2008年03月31日

かわの漁師



浜名湖の水は塩からい。

かって遠江国(遠淡海)の国名の由来となったように、文字どおりの淡水湖であったが、室町時代に起こった大津波のために、遠州灘と直接つながってしまった。

江戸時代の初め頃には、西岸の入出村から、徳川家康に「鯉」や「鮒」を献上していたといわれるが、次第に海水化が進み、現在では生息する魚類も海とほとんど変わりがなくなっている。

しかし、湖岸の人々は、浜名湖のことを「かわ」と呼んでおり、かわの漁師は海に出て操業することはない。


 浜名湖といえば、ウナギが名高い。

江戸時代にもすでに東海道、新居の名物としてあげられる。だが、これは天然もののウナギであった。ウナギの養殖は明治中期に舞阪において初めて成功し、周辺で盛んであった製糸工場から出てくる、蚕のさなぎを餌にして大いに発展していく。

養鰻池は、かわを囲いこんで作る川池と、陸地を掘ってつくる堀池とがあるが、いずれも豊富な湧き水を利用した淡水池であり、厳密にいえば浜名湖そのものの中で飼われていた訳でない。

養殖が盛んになってからは、稚魚(メッコ)をとる仕事も、かわ漁師の大きな収入源となっている。尚、餌は昭和期には、いわし、さんま、にしん等に変わっている。



 そして現在は・・・・・。  


Posted by 鷲津商店街 at 08:00コラム