2009年04月28日

生き残る条件を整える。

ある大学の実験によると、1メ-トル四方の空地を草1本見当たらない状態にして(8月)1ケ月後に生えてきた雑草の数を調べたら、17,776本あった。この土地に含まれている植物の種子は数十万から百数十万粒にもなる、と推定されるが、その中から僅か二万本足らずしか芽が出なかったことになる。しかも芽生えた草も、成長し花を咲かせ実をつけたのは76本に過ぎなかった。種子に比較すれば1万粒に1粒の発芽であり、発芽した中の千本のうち5本しか成長しなかった事になる。
 自然界がこれだけの激しい生存競争を続けていることは、驚くほかないが、生き残るということのむずかしさをつくづく考えさせられよう。
このことを思えば、企業集団の中で生き残ることは、はるかにやさしい。しかし、これとても生き得る条件が整わねば、植物と同じである。
ただ、植物の場合は生きる条件が、すべて与えられたものであるのに対し、企業の場合は、その条件を自分から創り出すことが出来る点が、植物とは異なる。それでも、自分でその条件を創り出そうとしないで、他動的に与えられるもの、と考える人は少なくない。
 小売業界には特にこれが多い。もっとも、これもどうやら限界に来たようであるが。
今時分美しい花を咲かせる草に鷺草がある。これは一人立ちできないので、周りの草に助けられて細長い花軸を立たせている。
共存共栄とは、同じ企業集団内に限って当てはめられがちであるが、異業種間で図るべき行動規則をも含めねばならないようにも考えられる。
 時あたかも国の施策で、農・工・商連携による新事業創生の支援策が出てきている。簡単には興せない事業アイテムであるが
同じ地域に生活し、仕事、地域活動をしている同士、今こそ従来からもちあわせるヒュ-マンネットワ-クを起動する時期かも。   


Posted by 鷲津商店街 at 20:00コラム

2009年04月19日

人間には回復の能力がある。

脳の重さは大人で大体1300グラムだが、その脳へ送りこまれる血液は、体中の血液の20%近いという。1時間あたり45リットルもの血液が、休みなく脳へ送りつづけられている。大型乗用車がフルスピ-ドで走り続ける時に消費するガソリンは、1時間に10リットル、小型乗用車なら5リツトルぐらいであるのに比べると、脳の消費している血液の量の激しさが、実感としてうかがえよう。(森政弘著・心眼から)


 脳細胞が普通百億から百五十億個あって、20歳以降は毎日十万個ずつ壊れている、という話も驚きだが、一時間45リットルもの血液が脳に送り込まれているというのも驚きである。

 脳に送りこまれる血液の量は、おそらく誰も同じ程度であろうが、その血液によって養われている脳細胞の働きが、なぜ大きく変わってくるのであろう。

 老人になると意固地になるのは、血管が堅くなって血液が十分に流れなくなり、細胞を衰えさせているからであろうか、などと考えたりもするが、すでに数え年六十の私としては、あまりいい気持ちはしない。

 しかし、それよりも、同じ程度の脳細胞が、あるいは利欲を求めるためにのみ働き、あるいは名誉欲を追うことにのみ働き、また真剣にみずからのあるべき姿を探るなど、人により異なった働きを持つ、というのはいかにも不思議である。

 A新聞の記事で、MBCで、ケガでリタイヤした選手がその心境を語った中で
「ありがたいことに、人間には回復の能力が与えられている。早く直して出直したい。」と紹介していた。

「人間には回復の能力があたえられている」という言葉は、いかにもすがすがしい。

一日に壊れていく十万個の脳細胞や、年と共に衰える肉体的機能に、回復の能力がないのは残念だが、その他のかなりの部分で、また仕事などの面では、この言葉は十分当てはまる。自分のしている事や考えていることが、最善であると思い込んでいる人には無用の訓えであろうけれど。

 侵さず侵されず-などと日本の平和憲法のようなことを主張する人もいるが、それは肉体の衰え、頭脳の衰えを告白するに等しい。

侵せど侵されず、でなくてならない。そこでこそ回復の能力への感謝が生まれる。ただしそこに暴力があってはならないが。
  


Posted by 鷲津商店街 at 18:05コラム

2009年04月10日

肩の力を抜いて仕事をしてみたら?

肩の力を抜いて仕事をしてみたら?

 ボクは、生来ナマケモノであるせいか、仕事が忙しければ忙しいほど、遊びも忙しくなる。
仕事がない時は、あまり遊ばない。軽くジャズを聴いていたりするのが好きだ。


つまり、仕事が忙しく、動き回っている時は、どうしてもストレスを発散させる必要が生じるらしい。だから、酒も遊びも仕事と同じくらい手を抜かない。そうすることによって生活のバランスをとっている。


 ところが、残念なことに若者は、そのテクニックがあまり上手でないように思える。


ボクのいきつけのスナックに、ときどき場違いな感じのする若者が来ている。彼は、とても有能な編集者らしく、仕事の話をする時は目を輝かせて議論するに余念がない。ただ、場所柄、仕事の話はご法度となる場合が多く、彼と同席している人たちも話を自然に柔らかくしていく。


もちろん、「シモの話」が中心になることもある。すると、彼は頭がいい男性なのか
「ああ、仕事は、終わりということか」と了解する。


 その後がいつもみじめ、彼は話題に入ってこようとしないか、入ったとしてもソツなくこなしているというのが見え、見え。
決して俗にいう「イイコ」ぶっているのではない。 ”話で遊べないのだ”


 遊びの時間帯になるとぷつりと酒に手を出さなくなるのも、彼の特徴。
仕事の時間として酒を飲むのは、彼なりに仕事のうち(無理して肩肘張って)だったのだ。
  こうなると、シラケますネ。


仕事のできる若者は、遊びもできてほしいというのは、ボクの勝手かな。!?  


Posted by 鷲津商店街 at 19:38コラム ふるさと

2009年04月05日

ふるさと 4月

ある人と
 「あれもしなければならぬ、これもしなければならないという考え方から、あれもしなくてもいいという考え方への転換」の話をしていたら、
だんだん舞台が広がってきて
 「あの業者もいらぬ、この業者もいらぬとなったら、こちらも廃業しなければならなくなりそうだ。私自身も死ななきゃならない」と大笑いになった。
 確かに、どんな障害もなしに、不要なものを取り除いて行けたら、そういうことになりそうだが、幸か不幸か障害が多すぎて、その入り口に到達するだけでも大変であり、まず、廃業とか自殺の心配はあるまい。それにこの考え方に賛成する人が、どれだけいるかという事すらはなはだ疑わしい。もしろあれもこれもしなければ、と考える人の方が、圧倒的におおそうである。そして止どまる所なく仕事を増やす。一つ仕事を増やすと、付随的に幾つかの仕事が増えるものである。  


Posted by 鷲津商店街 at 23:58コラム ふるさと

2009年04月01日

永六輔著「商人」から

「日本経済が世界に遅れているとは、よく言われることです。

これはフランス人に聞いた話です。

企業の工夫というのでしょうか、企業の謀略というのでしょうか・・・・・

 ここのところ、日本がワインのソムリエで世界一という評判をとりました。ワインを飲んで育ったフランス人をおしのけて日本のソムリエが優勝するというのは、大変なことです。
 わたしは、まァ、立派だなあと思うのですが、これには別の見方がある。
日本にワインを売り込むために、とくに女性に売り込むためにはどうしたらいいか、という作戦があって、その作戦の一環だというんですね。

つまり、ソムリエ世界一を日本にわたす、そうすると、それが日本のマスコミで紹介される、紹介されればワインのPRになる、それが女性に対してのワインの売り込みにつながっていく、そんな話だというんです。
 これを聞いたときに、われわれはほんとに表面しか見ていないんだなァ、という気がしましたし、嘘にちがいないとも思いました。そしていま、女性を中心に、本当にワインブ-ムの再来です。

 よくできた話だなァ、と思っているほうが心おだやかではあります。

つまり、アメリカにかぎらず、ヨーロッパの企業もそうですが、彼らが日本を市場として考えた場合に、実にたくみに、そして圧力を持ったかたちでやってくる。
 これをわが門前町、あるいはわが商店街がどう迎え撃つのかということになってきますと、とても先の読める話ではなくて、考えるだけで、はっきりいいますが、憂鬱になってくる、絶望的になってくる。」

 
話題転換
 最近、日本の洋風菓子職人(パティシエ)が、世界レベルになったとの報道がありました。グロ-バルな我等地球人と唱える方々は日本人の技術はたいしたもんだと絶賛されたが?

 メタボ検診が保険対象になったからとはいいながら、あんなに濃厚な甘さは日本人には合わないんではないか!なんていうとお叱りを受けるかもしれませんが、ワインの二の舞になりませんように。


 日本の和菓子の伝統はいずこに、今再び蘇れ、才気煥発和菓子職人の方々に期待する。

4月4日 花よりだんご市で、日本の菓子に目覚めよう!   


Posted by 鷲津商店街 at 17:28コラム