2009年11月24日

不況・不景気と騒ぐなかれ

不況・不景気と騒ぐなかれ


 またまた「不況」だの「不景気」だの「デフレスパイラル」だのという声が、しきりに聞こえ出して、不況下の暇さ加減が気になるようになってきたが、本当の不景気とはどんなものか、それを体験した人はいまどれだけいるのであろう。

 灯油が高いと言っても、スト-ブを使えないという話は聞かないし、休みの日など、ちょっと有名な寺院へ行くと、おはらいを受ける新車で境内が埋まっている。
 高級料理屋こそお客が減ったが、自分の小遣いで飲み食いする店はたいてい毎日そこそこ入っているし、喫茶店などでもお客が減ったように見えない。
 こう見てくると「不景気だ不景気だ」というのは、つまる所、好況時のようにもうからなくなった、というだけのように思える。本当に不況が来たら、喫茶店どころではあるまい。

 昭和初期の不況下では、都会で職にあぶれた人たちが、故郷に帰るのに、汽車賃も無く、東海道を妻子を連れて歩く姿が目立ったという。
 私はその頃はまだ小学生の低学年で、不況もなにも分からなかったが、いま当時を振り返ってみると、小作農の人たちが米を積んだ大八車に赤旗を立てて、年貢に納めるべきものを米屋に売りに出そうとしていた風景がよみがえってくるし、貧農の娘で遊里に売られて行った人も何人か思い出すことができる。
 「誰それの田が差し押さえられた」とおとな達が話しているのも良く聞いた。年貢を納めないことへの対策だったのであろうか。遊里に出された娘たちは、何年かの後に、定って病に蝕まれたからだを持って帰った。

 戦後は、農地解放で小作人の悲哀というものはなくなったし、再び昭和初期のような悲惨さを伴った不況がこようとは思わないが、同時にわれわれがいま抱いている不況への恐怖が、つきつめると、単なる充実感に対する不満に過ぎないと言えるようにも思えてくる。

 充実感というのは、きわめて不安定であり、比較はできなくても基準というものがない。しかし、「充実感とは与えられるものでも、奪うものでもなく、自分で作り出すものである」と私は考える。

 土岐某という人がその著書の中で、「年金生活に入ってからお祝いとかお供えを包むのに、これこれの額を包みたいが、年金生活なのでこれしか包めない。と断っている」と書いていた。これと充実感を比べるのはおかしいが、要は気持ちの問題だ、という点では共通している。

 先日、知り合いの料理屋の女将から「来年の春も野草摘みに連れて行ってほしい」と連絡が来た。野草といってもノビルとセリくらいのものである。
ノビルは設楽の山奥などでいくらでもはびこりコジキネブカなどとさげすまれる農家の厄介者で、いくら採っても喜ばれこそすれとがめられることはない。しかしこれも都会の料理屋に出回る時にはキロ何千円かになっているという。ものの価値とはそういうものであろうし、物の価値に絶対的な基準がない以上、物による充実感も同様な基準はない。

 杉村楚人冠は、「遊戯の哲学」という本の中で
  「人生とは人に疲れて死ぬことである」と言っているそうだが、物や金に疲れて死ぬよりまだしもだと思う。
  


Posted by 鷲津商店街 at 14:39コラム