2008年02月25日

一休み?



不当表示という言い方があります。成田の門前町でも見かけましたが、栗煎餅というお煎餅があります。栗の形をした香ばしいお煎餅です。
わたしはこのお煎餅が大好きなんですが、そのお煎餅がここのところ、日本中各地でなくなりつつあるのです。
 なんでこれが不当表示と関係するかというと・・・・・
わたしは、なぜ栗煎餅がなくなってしまったのかということが気になりまして、小田原にある栗煎餅の店で、聞いたんです。
「栗煎餅ありますか」
「ございません」
「どうして、ないんですか」
「どうしても欲しいですか」
「絶対に欲しい」
「じゃあ、うちで買ったって言わないでください。栗煎餅をうちで買ったって言わなければ、お売りします」

 麻薬を買いに行ったんじゃないんですよ。  これが実は、公正取引委員会につながるんです。
栗煎餅のなかには、栗が入っていないんですね。栗が入っていないと言うことは不当表示にあたる、ということなんです。
これはあるとき、公正取引委員会が日本中のお菓子やお土産のチェックをしたそうなんですが、そのとき、栗煎餅が不当表示というかたちになった。
 つまり栗煎餅をつくってはいけない、売ってはいけない。
栗煎餅に栗が入っているかいないか、いないからといって抗議を申し込んだ人がいたのでしょうか?
 いないんですね。
私に言わせれば、よけいなお世話なんです。

私は公正取引委員会のこの栗煎餅について、ちゃんと調べました。
 それで、「なぜいけないのですか」と聞きましたら、もちろん答えは「不当表示」。
「栗が入っていなければいけないのか」という聞き方をしましたら、「栗煎餅という以上は、栗が入っていなければいけない」というんです。
 それで私は、ほかのものをいろいろ聞きました。

「うぐいす餅というのは、ウグイスが入っているんですか(笑)
 ブルドックソ-スというのは、ブルドックが入っているんですか(笑 )
麒麟ビ-ルというのは、キリンが入っているんでしょうか(笑)
カッパえびせんというのは、エビが入っているでしょうけど、カッパが入っているんでしょうか(笑)]

 もちろん相手は大きな声で笑いました。私は笑い事ではないので、「なぜいけないのですか」とあらためて聞きました。
そこはお役人ですから、まじめに答えるんですね。
「永さん、麒麟ビ-ルの中にキリンは入っておりません。ブルドックソ-スのなかにもブルドックは入っておりません」。

そんなこと、わかって聞いているのに、まじめに説明されました。
「だったら、栗煎餅だっていいじゃないですか」と聞いたら、ここが違うんです。

「麒麟ビ-ルやブルドックソ-スにキリンやブルドックが入っていないのは常識です。栗煎餅がいけないのは、栗が入っているみたいだな、と思う。
ここが問題なんです。」
私はもう、呆れて口も聞けないという状態でした。

でもはっきりいいますが、栗煎餅をつくっている企業なんていうのは、明治とか森永とかいうような、大きな企業ではないんです。
私の知っている小田原の栗煎餅屋も、老夫婦が焼いていおたんです。
不当表示といわれれば、たしかに不当表示かもしれないけれども、でも、そういう仕事まで奪ってしまっていいのか。

 公正取引委員会は栗煎餅から総会屋まで、あるいは栗煎餅から銀行・証券会社までチェックしているわけです。
チェックするということに関してはありがたいのですが、法律ということになりますと、栗煎餅も例外としない。
・・・・・ここなんですね。栗煎餅も例外にしない、法律は平等だからという言い方、これがクセモノなんです。

法律に「見て見ぬふり」をしろというのは無理かもしれませんが、でも、現在の尺貫法は変えないまま、警察の「見て見ぬふり」のおかげで生き延びているのです。

一休み?は 永 六輔著
  


Posted by 鷲津商店街 at 08:00コラム

2008年02月24日

植栽(ショクサイ)の日



今年のカレンダ-を確かめる。四月二十九日を見る。
祝日昭和の日、またガッカリした。昭和が平成に変わった時、未練があったのか、前・天皇誕生日を大型連休の第一日として残す口実に「みどりの日」としたが、季節からしても環境保護の動きからしても、時宜を得ていた。
 ところが数年後、この日を「昭和の日」にとの論をなす者が出てきた。

明治天皇の天長節(誕生日)を「明治節」にした前例(これも現在は文化の日)に倣うつもりなのか。菊花薫る読書の秋だから「文化の日」も結構。明治維新による文明開化を進めた明治大帝に因む祝日である。
 が、然し。「昭和の日」とは何ともおぞましい名称であろうか。文頭にてガッカリしたと述べたゆえんである。しかも無名の休日、五月四日をみどりの日にしようというご都合主義が伴うのには、全く呆れはてた。
 祝日や記念日に「何とかの日」と名付けたがるのも滑稽だ。ミミの日(三月三日) ハナの日(八月七日) メの日(十月十日)のような語呂合わせも数しれず、ご愛嬌と申すべし。「何でもない日」があってもいいと思う。

 敗戦後、まだTVもなく、ラジオ放送もNHKだけの頃、庶民の楽しみはラジオ放送と活動写真(映画館上映の映画)だった。当時、評判のよかった番組に「日曜娯楽版」があり、三木鮎郎とその仲間による風刺の効いたユ-モアが人々の共鳴共感を呼んだ。呼びすぎてその筋(どんな筋?)の圧力で、番組が中止になったとか、残念だった。        
その中の冗談音楽の唄、
♪ヤレ何の日だカンの日だ、ナンでもナイ日は無いものか♪・・・・・というのがあったが、五月四日こそ、その、「ナンでもナイ日」にすればよい。

 ところで、前述の番組中止の理由は、当時の政権の中心にあった人の逆鱗に触れた(ウソならよいがホントなので)とやら。白足袋を愛用したその人は、国会議事堂でバカヤロ-と言ったりコップの水を投げるなどして話題になったが、昨今の同様な行為をなさる方々とは人格・識見・教養において雲泥の差で「高潔」「毅然」などの語は、この人の為にあるように思う。

 それにしても、祝日や祭礼を日常生活の「ご都合」によってその月日を変更することは、はしたなく悲しい。定めた日に行事してこそ意味がある。
 とくに祭礼を、土曜日曜に括めるのは神々を恐れぬ不謹慎で、学校や職場も反省して協力したい。地域の文化はそこに根差して育つものである。
 祝日が日曜日に重なった場合の翌・月曜日の振替休日も、休む権利ではなくて、休んで祝う義務があるということである。

 さて、四月二十九日「昭和の日」を「植栽の日」とすべく提案したい。
 一九二六年つまり大正十五年(最後の一週間が昭和元年)生まれの私は、昭和初期の暗い日々から十五年戦争の間に育って敗戦に遭い、戦後復興努力が金権物欲バブルとその崩壊を迎えたことを考えれば「贖罪(ショクザイ)の日」として次の世代に言い遺し語り継ぎたいもである。
                                                                                  語り継ぐ「三河ぎっとう」  記    


Posted by 鷲津商店街 at 08:00コラム

2008年02月23日

「ふるさと」Part3



本興寺は、日乗上人の開山による法華宗本山の名刹で、鷲津駅から西北へ、徒歩で約十分、浜名湖西岸の丘陵にあるお寺で、本堂は、南北朝時代の永徳三年の創建による宗門最古の建築物で、当時の建築様式、手法をそのままに伝え、国宝に指定されている。


書院の壁画及び襖には谷文晁晩年の力作「四季山水の図」があり一名文晁寺としても有名であり、その他宝物、美術品を多く
蔵し、中でも蓮の繊維で漉いた紙に描かれた国宝法華二十八品曼荼羅四福、初代陶工柿右衛門の八寸皿、日蓮上人の御真筆、伏見御深草両帝の御親翰、藤原時代菅公筆の紺紙金泥法華経など絢燗たる鎌倉室町文化の粋を一堂に集めている。


 
毎年四月上旬に本興寺花まつりの折、郷土資料展と銘うって前記の国宝美術品が一般に公開されている。


必見の価値あり!!  


Posted by 鷲津商店街 at 08:00コラム ふるさと

2008年02月12日

雑感



西行に「風になびく 富士の煙の 空にきえて 行くえも知らぬ わが心かな」がある。

西行は今から八百年ばかり前の人であるが、当時の富士が絶えず煙を吐きつづけていたと思うと、八百年の歳月の遠さが思われる。

いつまた爆発するか分からぬ危険をはらんでいる若い富士山は危ないと言っても決して脅かしにはなるまい。あの静かなたたずまいと美しい姿の底に、恐るべきエネルギ-が噴出の時を狙っていると思うと、決していい気持ちにはなれない。

しかし考えてみれば人間関係でも、同じ様な情勢がいくらでも存在している。平常、それこそ共存共栄、苦楽一致、申し分のない関係を保っているようにみえても、いったん利害が相反するような事態が起きたとき、共存共栄という言葉が、どれだけ空しいものだったかを、身にしみて知ることができる。

それを支えるだけの強さを、人間関係において、作り上げていなかったことを反省しなければなるまい。

水は低きにつく、などと言われる。だが必ずしもこれは正確ではない。正確にいえば、低い方へ流れると共に弱い部分が削られ流されている。

しかしそのあとに果たして美しい自然を作り出すことが出来るであろうか。

これはかなり疑問である。理由はいうまでもあるまい。弱い土砂が流されてもすぐに流された以上の土砂を新しく積み重ねるという仕事が、常に繰り返されているからである。
                                                                        


                     平成二十年二月      粋 虎

  


Posted by 鷲津商店街 at 08:00コラム

2008年02月11日

「ふるさと」Part2



「友とするにわろき者七つあり。一つには高くやん事なき人。二つには若き人。三つには病なく身強き人。四つには酒を好む人。五つにはたけく勇める兵。六つには虚言する人。七つには欲ふかき人。

よき友三つあり。一つには物くるる友。二つには医師。三つには知恵ある友。」


全部が当たっているとは思わないが、虚言する人、欲ふかき人との交わりについては異論を出す人はいないだろう。

ただ、欲の深い人は自分で欲が深いとは少しも考えないところに問題があるし、欲深でない人であっても、時には欲につられてひどいめに会う。

相手の欲の程度を見極める眼力も持たねばならないだろう。

よき友三つ、これには異論の余地はない。ただし、物くるる場合は「くれ方」をみたい。

街づくり論議が盛んな昨今であるが、住む人、語る人、皆が貧窮の交わりを捨てずよき友を発掘したいものである。


                           〇八・二・十一   記
  


Posted by 鷲津商店街 at 08:00コラム ふるさと