2008年05月21日

総会理事長挨拶




「本日は大変お忙しい中、来賓の皆様方には第40回通常総会にご出席賜り厚く御礼申し上げます。日頃は当組合に対しご支援ご協力をいただいております事を組合員を代表しまして重ねて御礼申し上げます。

さて、本日は総会前ではございますが、『これからの商店街活動』について理事長として私見ではございますが少々お話をさせていただきたいと思います。」

 商店街活動の目的は、この街がこの地域に住む人たちの生活拠点となって、活き活きとした暮らしができるような街づくりをする事ではないでしょうか。 
 
そして商店街組織がそのために目指す目標は何か。

誤解を恐れずにいえば、それは「売上をあげる」ことです。しかし単純に従来の販売促進事業ばかりやっている商店街は、お客様の支持を得られず労多くしてその効果が上がらず、商店街活動は行き詰まりをみせ組合員の心が離れるということです。

 私どもの組合の 定款第1条にある商店街活動の目的は、

「相互扶助の精神に基づき、組合員のために必要な共同経済事業を行うと共に、組合員の事業の健全な発展に寄与し、あわせて公共の福祉の増進に資すること」であります。

それは今でも変わらない。

 相互扶助の精神で組合員から役員を選び、組合員が一致協力することにより、共同売出しをしたり、ア-ケ-ドを造ったりカラ-舗装化したりして環境の整備をし、組合員の事業の健全な発展=売上を上げることを目的としていました。結果として雨露をしのげるといった公共の福祉もついてきました。

皆でお客様を呼ぼうと先輩諸氏は昭和45年に組合をつくり国の高度化事業の認定を受けア-ケ-ドとカラ-歩道をつくりました。また昭和54年鷲津郵便局跡地払い下げに伴い、市へ資金を寄付し駅前公共駐車場をつくり商店街の魅力を高め売上に結びつけてきました。

 しかし、今はその順番が変わってきました。公共の福祉の増進、地域の役に立つことを商店街がやることにより、その結果はじめて売上がついてくる。時代はそう変わりました。以前に視察をした足立区東和銀座の田中武夫さんの言葉を思い出します。

「大型店は稼ぐためにやってくる。しかし地域の中で生きる商店街は地域住民のためにある。地域住民にどう喜んでもらえるかを考え、それにこたえるのが商店街である。

それができない商店街ならすたれて廃業する店が出てきても、住民は商店街に同情して買い物などしてくれない。
これからは必ず商店街の時代がくる。そのために商店街は地域住民に奉仕すべきだ。」と申されました。
 
商店主の意識がこのように変化しなければ、商店街は残っていきません。

またまた誤解を恐れずに言うと、儲けにつながらないからやらない、というのは商人として正常な反応であります。しかしそれは商店街ではなく独立店だったらの話ではないでしょうか。

今が儲からないのは商店主の意識がお客様についていけてないからではないでしょうか。これからは、地域の諸問題やニ-ズに答えながら役にたつ商店街として活動し、しかし決してそれは「サ-ビス・サ-ビス」で市民にただで、ものを与えることではなく、連携し一諸に物事をすすめていく、そして同時に事業として採算性も考えたものにしていくことが必要とされていると考えます。

 地域住民が中小小売店などに求める有償サ-ビスは
  「商品の宅配」が49歳以下で30% ,50歳以上で33%
  「一人暮らしの高齢者の見回りサ-ビス」の50歳以上で16%が希望しているデ-タがあります。

 地域の方々は商店街に、派手な事業でなく、弱者の生活へのきめ細かい手助けやコミュニティ-機能を期待しているわけです。今、行っている「配食サ-ビス」をより充実し買物代行まで 行うことなど、やるべきパイ(商売)は潜在的にまだまだあります。

今年、6月には皆さんご存知のように「新居町」との合併協議会の立ち上げが予定されています。

順調に進めば平成22年4月には「新しい街」が誕生します。その時、新市のコア(中心)はどこになるとお考えですか。

街というのは必ずコア(中心)のエリアが集中的に発展します。

私はこの鷲津地区が必ずコアとして発展の中核になると信じています。
 
それはタイムリ-に区画整理事業も済み、基盤整備(道路・下水・ガス等)も完了し、市内唯一の商業地区(建蔽率80%・容積率400%で高度化利用が可能)として位置づけられ、市内3駅の中間に位置しているからです。

他地区の皆さんからすると何を勝手なことを言っているんだとお叱りを受けるかもしれませんが、すでにエリア内に、36軒の分譲マンション、130室余のビジネスホテルの計画も発表されました。

まだまだ新たな投資が出てきます。

中心になるんだという目標を掲げ、発言をしつつもその発言を担保する事業を組合員のもっている人脈(ネットワ-ク)を活用し、協力して行うことが重要です。

このチャンスを逃すことはないのです。

声高らかにこの地を新市の中心にと全員で訴えかける行動に踏み出しましょう。

終わりにあたり、本日の総会にて慎重な審議を賜りますよう御願いし挨拶にかえさせていただきます。ありがとうございました。

                          平成20年5月21日  


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2008年03月31日

かわの漁師



浜名湖の水は塩からい。

かって遠江国(遠淡海)の国名の由来となったように、文字どおりの淡水湖であったが、室町時代に起こった大津波のために、遠州灘と直接つながってしまった。

江戸時代の初め頃には、西岸の入出村から、徳川家康に「鯉」や「鮒」を献上していたといわれるが、次第に海水化が進み、現在では生息する魚類も海とほとんど変わりがなくなっている。

しかし、湖岸の人々は、浜名湖のことを「かわ」と呼んでおり、かわの漁師は海に出て操業することはない。


 浜名湖といえば、ウナギが名高い。

江戸時代にもすでに東海道、新居の名物としてあげられる。だが、これは天然もののウナギであった。ウナギの養殖は明治中期に舞阪において初めて成功し、周辺で盛んであった製糸工場から出てくる、蚕のさなぎを餌にして大いに発展していく。

養鰻池は、かわを囲いこんで作る川池と、陸地を掘ってつくる堀池とがあるが、いずれも豊富な湧き水を利用した淡水池であり、厳密にいえば浜名湖そのものの中で飼われていた訳でない。

養殖が盛んになってからは、稚魚(メッコ)をとる仕事も、かわ漁師の大きな収入源となっている。尚、餌は昭和期には、いわし、さんま、にしん等に変わっている。



 そして現在は・・・・・。  


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2008年03月12日

二休み。


究極の酒・マッカリの味

「君たちはいま、トリスや焼酎を喜んで飲んでいるが、長い目で見ると、低アルコ-ルの時代が来る。」
敗戦から間もない焼酎派学生時代、醸造学原論の講義で坂口謹一郎教授がおっしゃった時、私達はポカンとしていた。
 酒造学講座冒頭で「桶と樽の違いがわかるか?」とクイズを出された山田正一先生(当時・国税庁醸造試験所長)が、濁酒と清酒の差異を例えて
「味噌汁をろ紙でこして飲んで見給え。その口ざわりが味に大きく影響することがわかる。」と教示されたのも面白い。
大学院の研究室で師事した、微生物利用学の朝井勇宜教授は、果実酒に興味をもつ私に
「ワインのことなら、穂積忠彦君に教えてもらうとよい」と3年先輩の穂積さんの存在(当時・国税庁鑑定官)を教えてくださった。
その穂積先輩は、白ワインのさわやかな酸の味を、これからの日本人の嗜好として、啓示されている。
 その頃、日本人は炭酸ガス飲料に馴染まず、サイダ-やラムネが飲まれていたに過ぎない。その後の果汁ガス飲料の伸長と、加えて
ビ-ルの普及、予想もしなかった売れ行きは、新しい味覚の実態を示唆している。
 以来40年、改めて思い返し、落語の三題噺ならぬ四題噺 - 低アルコ-ル・濁り酒の舌ざわり・さわやかな酸の味そして二酸化炭素ガス・・・・・この究極の味を備える酒を求めてみた。
答えは「マッカリ」すなわち朝鮮濁酒だ。肉料理とくに焼肉にはうってつけだ。ビ-ルほど腹が張らず、清酒のように酔いすぎず、そして
口中さわやかである。但し何よりの難点は、いま日本では簡単に手に入らぬこと。
 そこで「マッカリもどき」を紹介する。

ビ-ルのコップに、無糖ポッカレモンを半フィンガ-(約15cc)、そこへ知多の銘酒・雪山にごり酒をコップの半分まで入れ、よく冷やした
サントリ-・ソ-ダ(スクリュ-・キャップなのがよい)を注いで満たせば、「究極の酒マッカリ」そっくりの美味しい酒(アルコ-ル約7%)が
出来上がる。ニンニクと唐辛子のきいた焼肉に相性ピッタリだ。

「酒在湖西」大津屋さんに材料もノウハウも完備。あなたのよき指南役をつとめてくれる。
 
                      

*我が恩師 故小嶋和四郎氏より90年新春に寄稿いただいた文章です。
  


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2008年02月25日

一休み?



不当表示という言い方があります。成田の門前町でも見かけましたが、栗煎餅というお煎餅があります。栗の形をした香ばしいお煎餅です。
わたしはこのお煎餅が大好きなんですが、そのお煎餅がここのところ、日本中各地でなくなりつつあるのです。
 なんでこれが不当表示と関係するかというと・・・・・
わたしは、なぜ栗煎餅がなくなってしまったのかということが気になりまして、小田原にある栗煎餅の店で、聞いたんです。
「栗煎餅ありますか」
「ございません」
「どうして、ないんですか」
「どうしても欲しいですか」
「絶対に欲しい」
「じゃあ、うちで買ったって言わないでください。栗煎餅をうちで買ったって言わなければ、お売りします」

 麻薬を買いに行ったんじゃないんですよ。  これが実は、公正取引委員会につながるんです。
栗煎餅のなかには、栗が入っていないんですね。栗が入っていないと言うことは不当表示にあたる、ということなんです。
これはあるとき、公正取引委員会が日本中のお菓子やお土産のチェックをしたそうなんですが、そのとき、栗煎餅が不当表示というかたちになった。
 つまり栗煎餅をつくってはいけない、売ってはいけない。
栗煎餅に栗が入っているかいないか、いないからといって抗議を申し込んだ人がいたのでしょうか?
 いないんですね。
私に言わせれば、よけいなお世話なんです。

私は公正取引委員会のこの栗煎餅について、ちゃんと調べました。
 それで、「なぜいけないのですか」と聞きましたら、もちろん答えは「不当表示」。
「栗が入っていなければいけないのか」という聞き方をしましたら、「栗煎餅という以上は、栗が入っていなければいけない」というんです。
 それで私は、ほかのものをいろいろ聞きました。

「うぐいす餅というのは、ウグイスが入っているんですか(笑)
 ブルドックソ-スというのは、ブルドックが入っているんですか(笑 )
麒麟ビ-ルというのは、キリンが入っているんでしょうか(笑)
カッパえびせんというのは、エビが入っているでしょうけど、カッパが入っているんでしょうか(笑)]

 もちろん相手は大きな声で笑いました。私は笑い事ではないので、「なぜいけないのですか」とあらためて聞きました。
そこはお役人ですから、まじめに答えるんですね。
「永さん、麒麟ビ-ルの中にキリンは入っておりません。ブルドックソ-スのなかにもブルドックは入っておりません」。

そんなこと、わかって聞いているのに、まじめに説明されました。
「だったら、栗煎餅だっていいじゃないですか」と聞いたら、ここが違うんです。

「麒麟ビ-ルやブルドックソ-スにキリンやブルドックが入っていないのは常識です。栗煎餅がいけないのは、栗が入っているみたいだな、と思う。
ここが問題なんです。」
私はもう、呆れて口も聞けないという状態でした。

でもはっきりいいますが、栗煎餅をつくっている企業なんていうのは、明治とか森永とかいうような、大きな企業ではないんです。
私の知っている小田原の栗煎餅屋も、老夫婦が焼いていおたんです。
不当表示といわれれば、たしかに不当表示かもしれないけれども、でも、そういう仕事まで奪ってしまっていいのか。

 公正取引委員会は栗煎餅から総会屋まで、あるいは栗煎餅から銀行・証券会社までチェックしているわけです。
チェックするということに関してはありがたいのですが、法律ということになりますと、栗煎餅も例外としない。
・・・・・ここなんですね。栗煎餅も例外にしない、法律は平等だからという言い方、これがクセモノなんです。

法律に「見て見ぬふり」をしろというのは無理かもしれませんが、でも、現在の尺貫法は変えないまま、警察の「見て見ぬふり」のおかげで生き延びているのです。

一休み?は 永 六輔著
  


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2008年02月24日

植栽(ショクサイ)の日



今年のカレンダ-を確かめる。四月二十九日を見る。
祝日昭和の日、またガッカリした。昭和が平成に変わった時、未練があったのか、前・天皇誕生日を大型連休の第一日として残す口実に「みどりの日」としたが、季節からしても環境保護の動きからしても、時宜を得ていた。
 ところが数年後、この日を「昭和の日」にとの論をなす者が出てきた。

明治天皇の天長節(誕生日)を「明治節」にした前例(これも現在は文化の日)に倣うつもりなのか。菊花薫る読書の秋だから「文化の日」も結構。明治維新による文明開化を進めた明治大帝に因む祝日である。
 が、然し。「昭和の日」とは何ともおぞましい名称であろうか。文頭にてガッカリしたと述べたゆえんである。しかも無名の休日、五月四日をみどりの日にしようというご都合主義が伴うのには、全く呆れはてた。
 祝日や記念日に「何とかの日」と名付けたがるのも滑稽だ。ミミの日(三月三日) ハナの日(八月七日) メの日(十月十日)のような語呂合わせも数しれず、ご愛嬌と申すべし。「何でもない日」があってもいいと思う。

 敗戦後、まだTVもなく、ラジオ放送もNHKだけの頃、庶民の楽しみはラジオ放送と活動写真(映画館上映の映画)だった。当時、評判のよかった番組に「日曜娯楽版」があり、三木鮎郎とその仲間による風刺の効いたユ-モアが人々の共鳴共感を呼んだ。呼びすぎてその筋(どんな筋?)の圧力で、番組が中止になったとか、残念だった。        
その中の冗談音楽の唄、
♪ヤレ何の日だカンの日だ、ナンでもナイ日は無いものか♪・・・・・というのがあったが、五月四日こそ、その、「ナンでもナイ日」にすればよい。

 ところで、前述の番組中止の理由は、当時の政権の中心にあった人の逆鱗に触れた(ウソならよいがホントなので)とやら。白足袋を愛用したその人は、国会議事堂でバカヤロ-と言ったりコップの水を投げるなどして話題になったが、昨今の同様な行為をなさる方々とは人格・識見・教養において雲泥の差で「高潔」「毅然」などの語は、この人の為にあるように思う。

 それにしても、祝日や祭礼を日常生活の「ご都合」によってその月日を変更することは、はしたなく悲しい。定めた日に行事してこそ意味がある。
 とくに祭礼を、土曜日曜に括めるのは神々を恐れぬ不謹慎で、学校や職場も反省して協力したい。地域の文化はそこに根差して育つものである。
 祝日が日曜日に重なった場合の翌・月曜日の振替休日も、休む権利ではなくて、休んで祝う義務があるということである。

 さて、四月二十九日「昭和の日」を「植栽の日」とすべく提案したい。
 一九二六年つまり大正十五年(最後の一週間が昭和元年)生まれの私は、昭和初期の暗い日々から十五年戦争の間に育って敗戦に遭い、戦後復興努力が金権物欲バブルとその崩壊を迎えたことを考えれば「贖罪(ショクザイ)の日」として次の世代に言い遺し語り継ぎたいもである。
                                                                                  語り継ぐ「三河ぎっとう」  記    


Posted by 鷲津商店街 at 08:00コラム

2008年02月23日

「ふるさと」Part3



本興寺は、日乗上人の開山による法華宗本山の名刹で、鷲津駅から西北へ、徒歩で約十分、浜名湖西岸の丘陵にあるお寺で、本堂は、南北朝時代の永徳三年の創建による宗門最古の建築物で、当時の建築様式、手法をそのままに伝え、国宝に指定されている。


書院の壁画及び襖には谷文晁晩年の力作「四季山水の図」があり一名文晁寺としても有名であり、その他宝物、美術品を多く
蔵し、中でも蓮の繊維で漉いた紙に描かれた国宝法華二十八品曼荼羅四福、初代陶工柿右衛門の八寸皿、日蓮上人の御真筆、伏見御深草両帝の御親翰、藤原時代菅公筆の紺紙金泥法華経など絢燗たる鎌倉室町文化の粋を一堂に集めている。


 
毎年四月上旬に本興寺花まつりの折、郷土資料展と銘うって前記の国宝美術品が一般に公開されている。


必見の価値あり!!  


Posted by 鷲津商店街 at 08:00コラム ふるさと

2008年02月12日

雑感



西行に「風になびく 富士の煙の 空にきえて 行くえも知らぬ わが心かな」がある。

西行は今から八百年ばかり前の人であるが、当時の富士が絶えず煙を吐きつづけていたと思うと、八百年の歳月の遠さが思われる。

いつまた爆発するか分からぬ危険をはらんでいる若い富士山は危ないと言っても決して脅かしにはなるまい。あの静かなたたずまいと美しい姿の底に、恐るべきエネルギ-が噴出の時を狙っていると思うと、決していい気持ちにはなれない。

しかし考えてみれば人間関係でも、同じ様な情勢がいくらでも存在している。平常、それこそ共存共栄、苦楽一致、申し分のない関係を保っているようにみえても、いったん利害が相反するような事態が起きたとき、共存共栄という言葉が、どれだけ空しいものだったかを、身にしみて知ることができる。

それを支えるだけの強さを、人間関係において、作り上げていなかったことを反省しなければなるまい。

水は低きにつく、などと言われる。だが必ずしもこれは正確ではない。正確にいえば、低い方へ流れると共に弱い部分が削られ流されている。

しかしそのあとに果たして美しい自然を作り出すことが出来るであろうか。

これはかなり疑問である。理由はいうまでもあるまい。弱い土砂が流されてもすぐに流された以上の土砂を新しく積み重ねるという仕事が、常に繰り返されているからである。
                                                                        


                     平成二十年二月      粋 虎

  


Posted by 鷲津商店街 at 08:00コラム

2008年02月11日

「ふるさと」Part2



「友とするにわろき者七つあり。一つには高くやん事なき人。二つには若き人。三つには病なく身強き人。四つには酒を好む人。五つにはたけく勇める兵。六つには虚言する人。七つには欲ふかき人。

よき友三つあり。一つには物くるる友。二つには医師。三つには知恵ある友。」


全部が当たっているとは思わないが、虚言する人、欲ふかき人との交わりについては異論を出す人はいないだろう。

ただ、欲の深い人は自分で欲が深いとは少しも考えないところに問題があるし、欲深でない人であっても、時には欲につられてひどいめに会う。

相手の欲の程度を見極める眼力も持たねばならないだろう。

よき友三つ、これには異論の余地はない。ただし、物くるる場合は「くれ方」をみたい。

街づくり論議が盛んな昨今であるが、住む人、語る人、皆が貧窮の交わりを捨てずよき友を発掘したいものである。


                           〇八・二・十一   記
  


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2008年01月30日

ふるさと



大寒に入っているというのに、家の野牡丹がまだ花をさかせている。

さすがに花は小さくしぼんでいるが、色だけは鮮やかな紫を誇って
いるし驚いたことにツボミも残っていて、ひょっとすると春まで咲き
続けるのではないかとさえ思わせる。

 ボケも十二月から二輪さいてどちらも半月以上の寿命を保ってきた。
雪柳に至っては十一月頃から咲きっぱなしで、散る気配もない。
おかしな気候である。

 一輪咲いたまま散りそうにないボケの枝を見ると、新しいツボミに
なるらしいふくらみが一杯ついていた。まだ早いよ、と思わず口に出た。

いま頃ツボミをふくらませていて、霜でも降りたら忽ちやられてしまう
ではないか、やはり寒い時期は寒く、暖かい頃は暖かくなるのがいい。

 時々「あなたは花がすきなんですね」と言われる。そんな時、私は
「花は嘘は言いませんからねぇ」と答えることにしている。

                   〇八、一、二八  記
  


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2008年01月01日

新年のご挨拶 2008



あけましておめでとうございます。

鷲津の街にも「2008年」がやってきました。日頃は駅前商店街をご利用頂き心より感謝申し上げます。 「生き残り栄える商店街」となるために、「ノ-ハウとシステム」をひっさげて、仕掛け人が参上いたします。もちろん「ココロ」を第一主義として。
 いまや、商店の大きな課題は、業種から業態への変革であります。商品というモノを揃え並べて売るだけでなく、どのように売るかというコトを考えなければなりません。いわば、ハ-ドだけでなくソフトを重視するというわけです。

 そこで今年は、ユメのような話をホンモノにしたいと思います。

「言うはやすく、行なうはかたし」と申します。正に現実は厳しく、難問題の続出です。しかし、逃げたりへこたれたりせずに、前に向かって進みます。販売活動の諸問題も、店内管理の改善やこれまでの常識や慣習では不可能と思われることも諦めずに、その実現可能性を求めて挑戦いたします。

 幸いにして、昨年来、いくつかの壁を破り、山を乗り越えるという貴重な体験も積みました。その底流には、歴代理事長が申し続けております「個性的充実と行動的連帯」すなわち私どもが二つの宝(無形文化財)とする人材(個性化)と人脈(連帯)を街の内外に持ち、いっそうに育成し形成する努力があることと、この街をだれよりも愛していることです。

 「闘いつつ学び、学びつつ闘う」という決意により、ご理解・ご共感・ご高配を願い上げて、新年のごあいさつとさせていただきます。
                                    
                        
                           湖西市鷲津商店街協同組合
                           代表理事  土屋 政己
  


Posted by 鷲津商店街 at 00:00理事長 挨拶

2007年12月28日

今年を振り返って、そして今 


本年も、滴塾の事業ならびに、ご理解、ご協力を賜りまして誠にありがとうございます。

私は昔、こんな事を考えて働いてました。「頑張ってる人が、バカを見る世の中は間違っている」と。

そして、今、50歳。店を創めて25年。

今、自分に問うてみます。
本当に頑張って来たんだろうか?一生懸命、頑張って来たんだろうか?って。

先日、ある人と話をしました。「売上が悪い」「この景気の悪さは、どうなっちゃたんだろ」「来年は、もっと悪くなるそうだよ」、「小売業が、ますます無くなってしまう。」

今以上に辛く、今以上に厳しい時代がやってきます。確実に!

私は、もういちど、昔にもどってみようと考えています。

ポシティブに!自信を持って!それしかできないのだから。

     
                        滴塾塾頭  鈴木 憲治  


Posted by 鷲津商店街 at 08:00滴塾塾頭 挨拶

2007年01月01日

新年のご挨拶



2007年の新春をお祝い申し上げます。

昨年06年は郵政改革を旗印の小泉劇場が去り、若き安倍内閣が誕生し、ひきつづき改革を継承しており、おおむね経済界を期待している図式だと感じている。

昨今の新聞、経済紙等に「景気浮上に一服感あるも先行きは上昇期待が続く」という言葉を見受けますが、私共零細小売業には一向に先行き明るい声がきかれない、強いて言えば沈滞、停滞が続くと言う言葉でしょう。しかし、自ら現状を打破しなければ結果を得ることはできません。そこで私共は亥年に託し、たゆまず努力して猪突猛進に駆け、最後に「亥年は良い年だった」と言うようにしたいと思っています。

ひとつ明るい情報としてこんな経験があります。

戦後亥年が4回ありました。4回とも株価がかなり上昇しています。1回も下落の年はありません。亥年は好景気であると希望を持ちましょう。

今の社会は情報化社会と言われています。お客様はインターネットを始め、あらゆるメディアを通して商品知識を持っています。私共商人は常に精進、勉強を通して、大型店の出来ない弱点をついて特色を店に出して、お客様に満足していただき喜んでいただける店にするよう邁進いたす所存です。

亥年を良き年にして下さいますようお願いいたします。

                    2007年1月  理事長 小野田旨利
  


Posted by 鷲津商店街 at 00:00理事長 挨拶

2006年03月14日

ご挨拶



鷲津商店街の歴史をひもときますと。

戦中、戦後の時代は、「糸へん」産業に支えられた非常に良い時代でありました。
俗に「ガチャ萬」という言葉も生まれました。「ガチャ」と一回織れば1萬円儲けるの意です。紡績、紡織の工場で働く女工さん達の買物で商店街は賑わい活況を呈していました。
「糸へん」の時代が去って、自動車や電気の産業へ変っていきました。それでもバブル景気を迎え、それなりに商店も潤いがありました。

しかしバブル景気がはじけて、工業の街にも不景気風が吹き荒れてきました。時を同じくして、日本国の小売業の形態が大きく変革してきました。ご多聞にもれず、私共の『鷲津商店街』も閉店、閉鎖と云った店舗が、いくつか出てきました。

しかし、現在は淘汰されて、生き残った店舗の方々は、不景気というアゲンストの中でも消費者がご来店下さる店又、消費者がご指名して下さる店になろうと懸命にがんばっています。

この市は発明王「豊田佐吉」生誕の地です。創造の町にふさわしい商店街作りに励んでいます。

                                                    理事長 小野田旨利  


Posted by 鷲津商店街 at 08:00理事長 挨拶

あの人、この人、こんな話!