2008年02月12日
雑感
西行に「風になびく 富士の煙の 空にきえて 行くえも知らぬ わが心かな」がある。
西行は今から八百年ばかり前の人であるが、当時の富士が絶えず煙を吐きつづけていたと思うと、八百年の歳月の遠さが思われる。
いつまた爆発するか分からぬ危険をはらんでいる若い富士山は危ないと言っても決して脅かしにはなるまい。あの静かなたたずまいと美しい姿の底に、恐るべきエネルギ-が噴出の時を狙っていると思うと、決していい気持ちにはなれない。
しかし考えてみれば人間関係でも、同じ様な情勢がいくらでも存在している。平常、それこそ共存共栄、苦楽一致、申し分のない関係を保っているようにみえても、いったん利害が相反するような事態が起きたとき、共存共栄という言葉が、どれだけ空しいものだったかを、身にしみて知ることができる。
それを支えるだけの強さを、人間関係において、作り上げていなかったことを反省しなければなるまい。
水は低きにつく、などと言われる。だが必ずしもこれは正確ではない。正確にいえば、低い方へ流れると共に弱い部分が削られ流されている。
しかしそのあとに果たして美しい自然を作り出すことが出来るであろうか。
これはかなり疑問である。理由はいうまでもあるまい。弱い土砂が流されてもすぐに流された以上の土砂を新しく積み重ねるという仕事が、常に繰り返されているからである。
平成二十年二月 粋 虎
Posted by 鷲津商店街 at 08:00
│コラム