永六輔 著 「商(あきんど)人」から
永六輔 著 「商(あきんど)人」から 続き
「通信販売が大変な人気だっていうことは、店が無くても品物が売れるっていうことですよね。とか、とか言ってちゃ駄目だっていうことだ」
☆「通販」がありがたいのは、過疎地や離島の人たちだという。以前なら都会に行かないと買えなかった品が、自由に買えるのである。
店が無いという商売は新しいわけではない。
商売の歴史では、そもそも店は無く、売り歩いていたのだから・・・・・。
「ラジオ・ショッピング、テレビ・ショッピングもよく売れています。
電波を売るのが放送局かと思ったら、品物も売るんですなァ。
って・・・・・。」
「家電製品や薬品のように、すべての商品が安売り競争にさらされたら、いままでの商店は店をたたむしかないでしょうね」
「切れない電球はつくれるんです。でも、切れなきゃ売れませんから」
☆商品が使い捨てになりつつあるのは、カメラの世界ではご存じのとおり。修理するより買ったほうが安いのは時計。
まさに消費という言葉がぴったりになりつつある。
買っていただいて、トコトン修理保証するというような商人道徳は、化石になりつつある。
「メ-カ-希望小売価格は一万円ですが、それを五千円でいかがでしょうか。」
☆「希望価格の希望を無視しては失礼ではないだろうか」と言ったら、「希望は無視してもいいが、夢を無視するのは失礼だ」と言われた。
「バイオリンの弓が100万円って言ったら、高いんでビックリした人と、安いんでビックリした人がいてさ。まだまだ理解されていませんねェ。」
「わたしのバイオリンですか。バイオリンが700万円で、弓が500万円ですが・・・。 わたしのオ-ケストラじゃ、安物扱いです。」
☆商品として、高価だから良い品と、良い品だから高価なものがある。高価だから買うという満足感は、ブランド好きの日本人からは無くなるまい。
「700万円のワインを飲む会」が予約でいっぱいになるのだから。
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